昔関東に住んでいた時に、鶴見の付近の歴史的痕跡を見に行ったので、紹介してみます。
記事の要約
要約は以下のとおりです。
- JR国道駅に第二次世界大戦時の機銃掃射跡がある
- 薩摩藩がイギリスと戦争するきっかけとなる、生麦事件の現場が付近にある
JR国道駅
ここは「神奈川県横浜市鶴見」にある「国道駅」になります。
JRの駅なのですが鶴見線といい、主要路線の京浜東北線からはずれた路線となります。
※鶴見線は山口県でいう、工業地帯へ向かう宇部線の立ち位置に近い路線です
都内や横浜方面から国道駅に向かう場合は、京浜東北線の鶴見駅から鶴見線へ乗り換えて向かいます。
機銃掃射跡
この駅の歴史は古く、1930年開業。
この駅は第二次世界大戦中に機銃掃射を受けており、駅を出たすぐ横にP51と呼ばれる当時の米軍戦闘機の生々しい機銃掃射跡が見られます。
第二次世界大戦の末期で日本軍は余力がなくなり、日本軍からの米軍の戦闘機への迎撃が困難になりました。
その隙を見計らって、通常は他の航空機の護衛に使用されていたP51が、戦闘に徴用可能とされる漁船、自動車、民間人など地上の対象も狙って機銃掃射するようになりました。
その結果、国道駅にもP51の弾痕が残ったとのことです。
下の写真の通り、ネットで現存保護されているその下に、いくつもの弾痕が見られます。
戦後77年たった今、広島の原爆ドームですら維持が困難になりつつある中で、このような戦争の痕跡を、少しでも後世に残し伝えていくことは大切なことだと思います。
国道駅の中
ちなみに駅の改札へ向かって戻るとかつてのお店の跡がいくつかあります。
大半のお店は現在営業しておりませんでした。
いくつかの自動販売機がおいてあります。
いつの時代のものか不明な古い看板もありました。
電車を降りてから出口まで、薄暗く静かな空間を歩くことになります。
駅員さんもいない無人駅なので、歩いている途中でなんだか不安になります。
生麦事件
またこのあたりの住所は「生麦~丁目」となります。
「生麦」というと、教科書の「生麦事件」を思い出す単語ですね。
薩英戦争のきっかけとなった薩摩藩の島津久光の一行が、イギリス人を切り捨てた生麦事件の場所はこの地域なのです。
そしてこの事件をきっかけに、薩摩藩はイギリスと薩英戦争をします。
そしてその後和解しつつも薩摩藩は欧米の実力を知り、明治維新への原動力となります。
その後薩摩藩は、長州藩とも手を結びます。
その際もイギリスとの関係は武器供与をして、明治維新へ影響を及ぼすことになります。
今ここは閑静な住宅地です。
以上です。